JU東京の歩み

歴代会長・理事長

創立会長
山中 基伊知(故人)
就任期間
1970年6月~1972年10月

業界草創期にあって、「結束は力なり」を不言実行。1970(昭和45)年6月、東京6団体を中心に神奈川、埼玉、山梨など、首都圏における業者団体、有志グループをまとめ、現東京中販の前身同体である「首都圏中販連」を結成し、以来会長として活躍した。

その後、同中販連を東京を代表とする単一団体へと進め、1972(昭和47)年10月、日中販統一呼称である「中古自動車販売協会」の名称を以って現在に至る基盤づくりに尽力があった。

のみならず、業界初の広域団体である首都圏中販連を源流とした日中販設立に果たした功績も大きく、その名は広く業界史に刻まれている。

2代・4代会長
長谷川 清(故人)
就任期間
1972年10月~1975年3月
1978年4月~1981年3月

混迷しがちな初期活動の波浪を、骨太な古武士気質で乗り切って、旧5団体連合体を5団体支部体制化するなど、組織整備に全力を上げた。

1977(昭和52)年4月、商工組合設立と同時に初代理事長となり、1980(昭和55)年には現常設オークション会場、組合会館を建設した。

意思の伝達を充分に行なおうとして、式典等で挨拶が長くなることで有名だった。

3代会長
五十嵐 輝夫
就任期間
1975年4月~1978年3月

首都圏中販連専務理事当時から行動派として知られていた。在任時、商工組合設立準備に追われるなか、日中販の基盤強化、業界近代化計画の推進、社団法人化の促進など、八面六臂の活躍をした。

1974(昭和49)年5月から日中販会長、1978(昭和53)年5月からは中商連理事長(初代)を務める等、今日に至る業界づくりに邁進した貢献度は大きい。

5代会長
岩本 輝男(故人)
就任期間
1981年4月~1982年3月

江戸っ子でオペラ歌手という異色の経歴。首都圏中販連誕生以前、小売業集団として斬新な活動をした「UT会」の会長で、草創期リーダーの1人。

在任時は支部AAに加盟した在京4オークション場との協力体制づくりを行ない、またAAの合理化推など発展期に向かう東京中販の基礎固めに傾注し、その足跡は大きい。

6代会長
畑野 清一(故人)
就任期間
1982年4月~1990年3月

草創期に旧東中販グループを率いて業界形成に尽力した、芯の太い穏健派の紳士。

4期8年の在任中に、ポスコンAAのスタート、活路開拓事業の推進、売上税反対運動、中販クレジットと封印受託業務の始動など、東京中販を発展期へと押し上げた。

同時に、関連協会長としてニューメディア時代へ視点を向けるなど、今なお記銘すべき存在感がある。

7代会長
関口 良平
就任期間
1990年4月~1994年3月

基本調和を旨に、次代を担う若手経営者の育成に努めた。とりわけオークション事業に力を入れ、ポスコンの研究と更新、2層式出品車プールの建設など、設備の充実を図った。

また、中販クレジットの利用促進、封印受託業務については多摩・八王子管内に支所を開設するなど、組合員への利便供与に傾注し、在任時、組合員数が300社を超えた。

現在、JU東京の顧問。

8代会長
土屋 正己
就任期間
1994年4月~2011年3月

質実剛健を旨とし、将来的な展望から現オークション会場への移転を実施、グランドオープンを果たした。

小売振興にも熱心に取り組み、全国に先駆け流通認定車制度や査定技能士マイスター、認定販売士制度を導入。封印受託業務の全国化にも精力的に取り組んだ。

在任中のクレジット事業で何度も日本一の座を獲得し、その名を全国にとどろかせた。

現在、JU東京顧問として後進の指導に当たっている。

9代会長
金子 昇
就任期間
2011年4月~2015年3月

就任早々よりオークションシステムの2レーン化に着手。流通委員としての実績と経験を武器に次々と出品台数で過去最高新記録を更新し、JUグループの中核オークションとしての地位を確立させた。

若手メンバーからの人望が厚く、他県との交流も積極的に展開。歯に衣着せぬ物言いと行動力とで組織改革を断行し、次世代を見据えた組織運営の在り方について、独自の視点からメッセージを出し続けた熱血漢。

10代会長
長田 雅彦
就任期間
2015年4月~

次世代戦略の一環として、既存の枠組みにとらわれない新しい委員会組織を立ち上げ、イメージキャラクターを用いたCSR(社会貢献活動)を積極展開。JUグループはもとより地域社会においても、このキャラクターが話題を集めた。

一方、小売事業においてはディーラーとのタイアップによる「新車業販支援サポート」を開始。組合参加メリット拡大に向けた取り組みを明確化、会員増強策を積極的に進めた。